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◆◆◆2002.winter.更新記録◆◆◆2002.12.15.
2002.7.Photo Gallery j-girly「Guns'n'Girl」1枚追加。
2002.9.13.Photo Gallery Public Girly 4枚追加。
2002.11.27.Photo Gallery Public Girly 「momono」7枚追加。
その他、微妙に変更。

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今月の名盤:TORMENT「PSYCLOPS CARNIVAL」10年くらい前に手に入れたサイコビリーのオムニバスライブビデオを久々に見て、当時はBAT MOBILEカッチョイイーって思ってたけど、今見るとやっぱTORMENTもカッチョイイーと思って買いました。
今月の名画:「狼 男たちの挽歌最終章」
もう、何十回見ただろうか。50回以上は見てる。ウー先生とユンファの最高コンビ作品で、オートマチック連射アクションの決定版。今でこそハリウッドとかでも当たり前のあのガンアクションはこのシリーズが私にとっても原点。初めてこれを見たのはもう10年以上も前の話。この前、1年ぶりぐらいに見たら泣いた。昔、友達に貸したら「泣いた」と言われて、「どこで?!泣くとこあったか?」って、言ってた私なのに。歳をとったということでしょうか。

◆はじめての体験しちゃった◆2002.7.9.

みなさんはありますか?
私は夢を見た。それは友人のマツくんとどこか地方の宿に泊まっているとこから始まった。
どうやら私たちは人を2人も殺していて、まだ誰にも知られておらず、身を潜めるようにしていた私たちは布団に入り、左側の布団にマツくんも入り眠ろうとしていた。蛍光灯の点いた天井を眺めながら、死体をどうしたか思い出していた。「あぁ、マツくんが石で後頭部を殴り殺して、俺がその血だらけの死体を電話ボックスに置いてきたんだ。」
まだ見つかってないのか?などと考えていると、突然視界の右の方の風景が歪みはじめ、おぞましい何かがそこに存在しているのを覚った。しかもその歪んだ空気の中に引きずりこまれそうになり、叫ぼうにも声も出ない私はその反対側で眠る友人の腕をつかみ助けを求めた。友人は私の腕をしっかり掴み、引きずりこまれないようにささえてくれていたが、突然その友人の力が緩んだ。空気の歪みの中に引きずりこまれそうになっている私は「なぜ、手を離すんだ?!」と友人の顔を見ると、その友人の顔は鬼のような形相で眉間は膨れあがり、鼻筋に付きそうなほど伸び、口は下歯で上唇を噛みしめ、目は見開き、異常なほど顔に力が入っているなんとも言えない、人間が考え出す恐ろしい表情とは違う、初めて見た恐怖の形相だった。そこで出ない声を振り絞り私は目覚めた。時計を見ると早朝の4時。今までさまざまなコワイ夢を見てきたが、今回のはすさまじい恐怖だった。私は幸い人は殺していないが、直接的に殺さなくても、結果的に私が殺したも同然みたいなことが私の知らないところであったのかもしれないとか考えつつ、私は右耳を枕に当て、「く」の字で再度眠ろうとしていた。すると体育館のようなフロアをすごい勢いで走ってくるようなドッドッドッドという足音が右耳に迫ってきた。その何かが近づいてくろ恐怖。私はあわてて飛び起き、右耳を手でたたいた。辺りを見回すと何事もなく、夜も明け始め、外も明るくなってきていた。「何だったのか?これが霊体験なのか?」と思った。
私はお恥ずかしい話ですが、コワイ話がとても嫌いです。それは通常の人の数倍を超える恐怖絵を私の意志とは逆に脳が構築するからである。つまり、一人の人がコワイ話をする。そこにいる誰もがその話を聞いてその絵を想像する。だが私の場合はもっとも恐ろしい絵を勝手に脳が描き、さらに脚色して10%の話を120%の恐ろしいものに仕上げてしまうのである。そんな恐がりの私ですが、その何かが迫り来る足音を聞いた時、何故か楽しみのような感覚すら芽生えた。「これが霊体験か。次は何だ。」と。そして私は今度は左耳を下に体を反対向きに「く」の字にして眠ろうとした。すると意識が薄れ、眠りに入ろうとしたその時、フェードインで女性たちのお経の合唱が聞こえてきた。さっきの足音と同じく、またそのお経がせまってきた。私はまた飛び起きて耳をパンパンとたたいた。「今度はお経できましたか。ベタですな。」と思い、時計を見ると4時半ちょうど。霊界は4時に閉まると昔から思っていたけど、全然開いてるやん!と思いながら眠りについた。どうですかみなさん。私の生まれて初めての霊体験。あの片耳で聞いた迫り来る足音やお経は寝ぼけて聞いたのではなく、あきらかに聞こえたんですよ。というか脳にダイレクトに気配を感じた。霊体験の多い人にしてみれば、どーってことない話でしょうが、何せ私は初体験だったんでビビリました。
だって霊の前には飛び道具ですら意味を持たないし。




◆タイムマシンにお願い◆2002.09.06.

映画「タイムマシン」がおもしろいって聞いた。映画館に問い合わせると今日までだと言われたので、仕事終わってから見に行った。こっからはもし楽しみにしている人がいたら読まないように。ネタバレなんで。率直にはなんのひねりもなく普通だった。ただ、おもしろい所は1000回救っても、1000通りの死に方をするってとこが、スゴイなと。あえてその1000通りの死に方する映画ってほうがおもしろかったかも。最後には85万何千年後の女とねんごろになるって終わりだが、じゃ、あの最初の婚約者はどーでもええんかい。と思ったが、つまりすべては運命で、婚約者が死ぬことによって、主人公はタイムマシンを作り、85万何千年後にいた化け物たちを倒して、その化け物たちから救った女とねんごろになる。これすべて運命ってことか。たいへんだにゃ〜。

◆車産業についてちょっと◆2002.9.23.

以下の文章は私の個人的主観で綴っております。なにとぞご了承ください。
車をデザインしてる方々へお願いしたいんですが、ダサイのはもういいかげんにしてもらえないでしょうか。私は幼少時、スーパーカーブームでした。カード、消しゴム、筆箱、プラモ、すべてはスーパーカー一色の時代、私は国産車であるフェアレディZに夢中でした。あの美しいデザイン、あのセクシーな腰つき、すべてを愛していました。私は子供ながらに大人になったら絶対Zに乗ってやる。Zの似合う大人になってやる。
そしてZに乗る為に免許を取得し、最初に手に入れたZは白の130型。そしてついにZの中で最も好きな黒のZ130ターボ。私は嬉しくてしかたがなかった。が、そんな日々もつかの間。ある夜、友人を乗せて走っていると黄色の点滅信号の交差点で赤い点滅信号の右側からタクシーがゆっくりと出てきたので、私は減速した。そしてそのタクシーは止まったので私は早く通り過ぎてあげようとアクセルを踏み込んだ。するとそのタクシーは微妙にゆっくりと交差点に出てきた。ゆっくりゆっくりと。私はそのタクシーが動いてるのに気づいた時はすでに遅かった。タクシーの左側面に激突。そう警察署の前の交差点だったので、たちまち警察官数人が出て来た。タクシーの後部座席からはサラリーマン2人の客が首を押さえて出てきた。俺はZのあのクールなフロント部が盛り上がり、前が見えない程の廃退ぶりにショックで動けなかった。ふと、気づくと助手席の友人が胸を押さえてうずくまっていた。私はそれに気づき、「大丈夫か?!」と声をかけるやいなや、私の背後の扉を開き、私の革ジャンの襟首をつかんで車から警察官に退き吊り出された。そして私を睨み付けた警官は開口一番に「お前、シンナー吸ってるやろ!」と怒鳴られた。何がなんだかわからなかった。当然、シンナーも吸ってなければ、酒も呑んでない。「いや、それより友達が!」って言う私を押さえつけて、「シンナー吸ってるやろ!」とまた怒鳴られた。接触したタクシー運転手、その乗客は、救急車で運ばれて行った。現場に残された私と友人と無惨な姿になった私の愛するZの中で、現場検証された。その人たちにとっては、ただのタクシーとの接触事故で廃車。しかし私にとっては幼き頃から愛し続け、1年間にわたって探し回り、やっと手に入れた日産フェアレディZ130ターボブラックS58年型。それは憧れ続け、やっといっしょになれた愛する人同然。その愛する人を失った脱力感。失望感。あげくに、保険も下りなかった。そりゃ相手は乗客を乗せたタクシー。こっちはZに乗る革ジャン着た若者2人。しかも、タクシー会社なんてその道のプロ。どう考えてもこっちの分が悪い。なので、私は未だにタクシーは大嫌いです。
私はZを失い、SUZUKIのGSXでバイク通勤。そう、Zを失った絶望感と新しい車を買うにも、ろくなルックスの車がないから。それでも仕事でどうしても車が必要だった私は、フェアレディZを生んだ日産を訪れ、近代の粗大ゴミのような新車たちを見て失望し、HONDAに行き、セクシーさのない車たちを見て失望し、TOYOTAに行き、もうどうでもよくてスープラを買おうとした。が、その車屋の店員があまりにどんくさいので、「もう、いいです。いりません。」と言って、私は再び日産へ。そしてまた粗大ゴミのような新車たちを眺めていると、さっきここへ来た時は車の前部分しか見てなかったが、後ろ部分を見て歩いていると、そのおもかげ、まさにZ!という1台の車を見つけた。「これはなんていう車ですか?」と、日産の人に尋ねた。「あぁ、それは180(ワンエイティ)SXですよ。」私は「Zの後継車ですか?!」と聞いた。店の人は「いえいえ、シルヴィアです。」と言われたが、私は「いえ、これはZですよ。このテールの雰囲気は。」と言った。店の人は「う〜ん、そう言われれば似てますかねぇ?」と、どーでもいい返事。私はその180SXに決めた。しかし、そんな180SXも乗り続けて10年以上が経ち、もうあっちこっちガタがきて限界。車を買い換える時期にきた。
写真上から2枚が今から10年ほど前、私が探しに探し回ってやっと手に入れ、乗り回してた日産フェアレディZ130ターボTバールーフの黒。一番下の写真は上の写真ではZのルックスがよくわからない人のために雑誌からスキャンしたやつ。この黒の130Zに乗る前は白のZに乗ってましたが、ボンネットのダクト部がこの写真のやつがどーしても欲しかったので、再び探して手に入れた代物です。
Zって、モデルチェンジするたびに、「前のほうがかっこよかったのに」って思います。元々がかっこいいから、ちょっとやそっとスタイルダウンしても問題ないんですが、個人的には130Zと31Zが好きでした。最新のZはフェアレディの名を語ってるのも嘆かわしいほど私はヒドイと思いますが、またさらに新しいZが出たら、今のZも少しは見れるようになるんでしょうか。
今だに車産業は近未来的なスタイルにゴムタイヤというアンバランスな間抜けさでがんばっている。さすがにエアコンも快適、エンジントラブルもない新車に乗っていた以上、もう旧車は買えない。お願いしますから昔の旧車をリバイバルしてほしい。昭和50年代のセリカ2000GTリフトバック、スカイライン2000GTケンメリ、RX-7、みんなステキな車ばかりだった。ダルマセリカや117クーペや30Zも31Zも好きだった。みんな華麗でワイルドでセクシーだった。昭和60年以降の車なんて私にとってはタダでもいらないガラクタだった。最近の車では日産ラシーンやダイハツネイキッドやラパンなんかがいいデザインだと思ったが、結局最初だけで、ラシーンは初回版以外はどんどんダサくなっていき、ネイキッドもマイナーチェンジしてわざわざダサくなった。車業界の売り上げが悪いという話はよく聞くが、何でも不景気のせいにすんなよ。ダサいから買わない。最近新しく出たフェアレディZなんぞ、乗ることが条件でタダであげると言われても「いらん!」って即答で断る。みんな今、その車がかっこいいと思って乗ってんのかそれが不思議。いや、もちろん個人趣味もあるでしょう。私の妹なんてネイキッドが気に入っていたのにますますダサくなっていったワゴンRを買っている。わからん。ワゴンRだって発売した当初は好きだったのに、今のワゴンRはタダでもいらん。
結局、外車で唯一欲しいと思った'71年型ムスタングマッハ1が欲しい。国産車に期待し続けた私がバカだった。という結論になる。あの130型フェアレディZを生んだ日産が私の中で腐った以上、もう国産に期待できない。もしくばTOYOTAのbBでもラパンでもどーでもいいや。究極の妥協で。ゆっても7桁の金額で買い物するわけで、決して安い買い物ではないのに妥協。しかも外で使う物だから人に見られるわけで、それが妥協の品。昔、私は「女と車は男のステータス」と思ったことがある。冴えない男がいて、そいつがある日、すんごいいい女を連れて歩いてた。また、すごく大雑把で、こだわり無さそうな知人がある日、ベンツの2シーターで現れた。両者共に見る目が変わった。その時そう思った。たしかにくだらないことかもしれない。しかし、そんなくだらないことで私の見る目が変わったのなら、その両者は勝ち組ですよ。
最近では車業界のCMも斬新?というか、そういう雰囲気を醸し出し、車デザイナーみたいなおっさんが偉そうに語りながら「ニュー●●誕生」とか「あなたに一番フレンドリ〜●●」みたいなCMを見た。たのむからそんなヘボいものでイキらないでください。お願いですから。そんな似たようなものゴロゴロしてますよ。
私は個人サイトを通してこういった超個人的主観でメーカーや業界を批判するようなのはとてもキライでした。嫌悪するほどに。しかし、もうこの10年、我慢を超えました。超えすぎました。今でも道路では同じような車でひしめき合い、大渋滞を巻き起こし、排気ガスをぶちまけて、それでも歩行者より偉いご身分のようにダサイ車で我が物顔で走っています。エコカーは賛成です。政治家から率先してVIP車からすべきです。しかし、車のルックスもよーく考えてください。日産の人に一度、Zの話をした時「私たちの業界ではリバイバルは反則なんですよ。」という訳のわからない答を聞いた。昔の車は最近のぶっさいくな顔と違って、みんないい顔してました。私の超個人的主観ではあるでしょうが、そういうユーザーがいて、車のルックスにこだわらない人々も多くいる以上、ここらでちょっと考えてほしいものです。これはあくまで私のお願いです。
PS:あなたの乗っている車はとても気に入って好きで購入し、乗っているというのなら羨ましいです。それは私からしたらガラクタでもあなたにはいいパートナーでしょう。それと同じであなたから見たらガラクタでも私には最高のマシンが130Zでした。




写真上から2枚が今から10年ほど前、私が探しに探し回ってやっと手に入れ、乗り回してた日産フェアレディZ130ターボTバールーフの黒。一番下の写真は上の写真ではZのルックスがよくわからない人のために雑誌からスキャンしたやつ。この黒の130Zに乗る前は白のZに乗ってましたが、ボンネットのダクト部がこの写真のやつがどーしても欲しかったので、再び探して手に入れた代物です。
Zって、モデルチェンジするたびに、「前のほうがかっこよかったのに」って思います。元々がかっこいいから、ちょっとやそっとスタイルダウンしても問題ないんですが、個人的には130Zと31Zが好きでした。最新のZはフェアレディの名を語ってるのも嘆かわしいほど私はヒドイと思いますが、またさらに新しいZが出たら、今のZも少しは見れるようになるんでしょうか。


◆席が譲れない◆◆◆◆◆2002.10.30.

電車でお年寄りなんかに席を譲る美しき行為を最近よく見かけます。私も昔はよく譲ってました。あぁ、あれは思い出したくもない若き日のこと。ある白昼、私は電車で席に座っていました。席は全部埋まり、まばらに人が立ってる程の空いてる車両でした。そこへ赤ん坊を抱いた一人の若奥様が乗ってきました。私は当時18歳、そんな私でも子供を抱いてたら重いだろうなぁと思い、席を立ち、戸口にたたずむその女性に「どうぞ、座ってください。」と声をかけた。すると「いえ、結構です。」と言われた。立ち上がり、5歩程歩いた俺はもうその席には戻れない。「いえいえ、どうぞ、座ってください。」と再び。するとその女性は「いえ、本当に結構ですから。」と言った。私は負けじと「いえいえ、本当に座ってください。」と言うと、隣の車両から競馬新聞を見ながら歩いて来たおじさんが、なんのためらいもなくその席に座った。俺はその若奥様の後ろに立ちぼうけ。その若奥様は次の駅で降り、私は京都までその場所に立ちぼうけ。ヒドイ仕打ちです。たしかに私は長髪をブッ立たせて、鋲ジャン着て、手にはムチを持つ少年でしたが、せっかく席を譲ろうとしたんですから、社交辞令程度でも座ってあげてください。それがお互いのやさしさってもんでしょ。




著者近影。っていっても夏頃に会社で撮ってもらった写真ですが。



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