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◆◆◆1999.Mar.更新記録◆◆◆1999.4.1.
1999.2.25.OPEN
1999.3.各ページにメニューバー設置。
1999.3.PHOTO GALLERY NUDEY CUTEY OPEN
1999.3.PHOTO GALLERY INSTANT YELLOW BEAUTY OPEN
1999.3.DELTA ELITE RECORDS リニューアル。
1999.3.リンク1件追加。

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◆お誕生日おめでとう◆1999.3.20.

って、レアなグッズを何故誰もくれない。みんな、その気持ちだけで充分です。って 言わせてくれ。でもせっかくですからって、イカすグッズをギブ・ミー!そんな気持ちいっぱいに迎えた誕生日。結果的にはタバコ1カートンとか相方のマツくんからはビニ本3冊とか。お礼に5年ぐらい前にマツくんに借りたままだった本をあげたら本人は忘れてたみたいだったので、だまってたらよかったと思った。小学生のころノストラダムスの大予言がちょうど流行ってて、1999年って俺、何歳やねん!って言いながら想像した1999年の自分。ネクタイして頭テカらせたおっさんちゃうん。とか、ハゲた臭いおっさんに肩組まれて新地で酒飲んで吐いてんちゃうん。とかいろいろ小学生なりの想像力で未来の自分を考えてたが、けっこー想像とは違う現在がここにあった。今だに酒は缶ビール350mlでバレリーナのごとく回ってるし、皮ジャンやスカジャン着て仕事してるし、まだオモチャ集めてるし、まだアニメとかも見てるし、まだオバケとか恐いし、聴いてる音楽も変わらなく、まだ歌謡曲にも演歌にも興味なく、年末の紅白も興味ないしetc...。子供のころ描いた大人像とはまったく異なる現在の自分が存在していた。趣味も子供の頃と比べて変わってなくて、さらに数倍に増えた。じゃあ10年後の自分は?20年後の自分は?と考えると、あんまり変わってないような気がする。そしてその時の誕生日はどんな人が僕に「お誕生日おめでとう。」と言ってどんなレアな物をくれるのだろう?でも今の小学生から見た僕は充分おっさんなのかもしれない。
追記:この翌日にVANSのスニーカーやらDOG TOWNのアロハとかいろいろもらった。みんなわかってるやん。ありがとう、私にとってはこれがレアな物かも。



初公開!職場にて仕事中の私。
DVデッキの上には、今は亡きMGCのベレッタM9とヴァイスショルダー。1999.3.20.Pic.by YOCO


◆免許更新の憂鬱◆1999.3.12.

と、いうわけで今日は免許の更新に行ってきたわけやけど、門真の教習所はきれなったからいいけど、昔はもう警察署ばりに憂鬱な建物やった。人もいっぱいで講習受ける教室もなんかドンヨリしてた。もうあそこに行くだけで保護観の出頭日ばりの雰囲気やったのに、今はもうちょっとしたキャンパス状態。気分いい。でも毎3年ごとに来るこの更新時の最大の憂鬱は視力検査なのです。実はかなり目が悪いのですが、眼鏡をかけていません。それには理由があり、一回かけると眼鏡の離せない体になるということを、私は知っています。以前に友人がちょっと目が悪いからといって、うれしがって眼鏡を購入。うれしい彼はいつも眼鏡をかけて、何か明るくなったとか、宗教的なことを言ってよろこんでたが、1年後には眼鏡がないと何も見えないというほど視力が落ちたというか、眼鏡に頼って物を見る体に退化してしまったのでした。なんて恐ろしいことでしょう。人間はあまやかすと退化していってしまい、昔は私の部屋にはクーラーがなかったが、昨年の夏に購入。今では夏はクーラーが無いと生存できない体になってしまい、おととしはどうやって生きてたんだ?って過去の自分を不思議に思う夏がありました。眼鏡もそうです。しかし免許証に眼鏡等と一度ついてしまうと、強制的に眼鏡をかけなければなりません。車ならともかく、バイクの時なんて絶対に私の中ではいやなのです。 しかしまた3年後の平成14年に勝負をひかえてます。そういえば昔、免許をとるときに一人、少し知的障害の子がいました。その子と私はアナウンスで教習所の校長室に呼び出され、「適正検査の結果、君らは車に乗らん方がいいぞ。」と言われました。「何でやねん!あんな検査で何がわかんねん!」と絡むと、校長は「たとえば君は突然気が変わったりするやろ。」と言われ納得し、さらにあれもこれもと占い師ばりに私の性格すべてを当てられてしまったのでした。あれにはビックリ。適正検査あなどれん。だが反対を押しきり無事免許を取得した僕に、担当の教官は最後にこう言った。「車に乗るということは、法律で禁止されとんねん。でも免許証という特別の許可をもらった者だけが乗ってええねん。だから車に乗ってるもんがえらいわけとちゃうからな。それをいつも心に置いとけ。」と。その言葉はもう何年も常に私の心にあり、その言葉によって常に歩行者優先ドライバーの私は誕生した。それが僕の最大の交通ルールになっている。"車の免許は持ってて当たり前"と思っている人々に捧ぐ。by尾崎教官。



これは今、乗っているミーのカー180。この前はフェアレディZ130に乗ってたが廃車。この件については、つのる話が長くなるのでまた後日。

左は前に乗ってたGSXくん。もう最高に改造してたのに、こけてほとんどのパーツが破損。すべてノーマルの一番安いパーツで何とか乗れるように戻したが、乗る気がしなくなったころ。(理由:1.パーツをノーマルにしてダサくなった。2.おもっきりこけたので、ちょっと恐くなった。)

◆3月20日に生まれて◆1999.3.3.

もうすぐ誕生日を迎えるにあたり、最近ってお誕生会してないなぁとふと思った。会社の人におまえのウェブサイトは統一感がない。と言われた。そこで「だってこのサイトは企画から半日で作ったんですから。」と言ったら、HPはそんな短時間で作るもんじゃない!と言われた。そりゃそうだ。と納得した。だってもう見るたびにハァーってため息が出るのが、写真の工事中のとこ。モデルが自分やったら全然自己判断で載せれるけど、人の写真やし、ましてヌードとなるとそのモデルの子に聞かなあかんし、写真数枚持ってこれはどう?って聞きに行かなあかんっちゅうのが、めちゃめちゃめんどくさい。そんな暇は今のところ無い。でも早よせんと、1年経っても工事中てなことになりかねん。と思うと気があせってついついビデオを見てしまう。最近見たのはジョン・ウーとユンファが久々に組んだ「リプレイスメント・キラー」。これは劇場で見たかったけど、これまた暇が無かった。でもビデオで良かった。徳間から出てた「狼」の方がぜんぜんいいやん。ジョンくんハリウッドぼけしてるんちゃうか。と思って続けてまた「狼」を見てしまった。もうセリフも覚えるほど見てる。元々今の職種につく前はビデオ業界にいたわけで、当時社会派ドラマとして書いた脚本はエロビデオで発売した。パッケージには原作に本名がフルネームで載ってた。あと「CHAOTIC MURDER」や「G-SPOT」等の映画の機関誌を作ってた。そのころはもう言いたい放題で作ってました。で「スターシップ・トゥルーパーズ」もついでに見たけど、こんなハツラツとした青春映画は初めて見た。さらにバーホーベンのグログロもミックスされておもしろかった。でも基本的にはヨーロピアンシネマと香港ニューシネマが大好物です。でも「カルロス」の続編を楽しみにしている本日より。 更新情報、とりあえず各ページにメニューバーを入れた!だけ・・・



これは1993年から3年もかけて作った自主映画「HIT SHAM2」のパイロット版。これの前作の脚本とこの続編のVTRを知人の業界の人に渡したのですが、今だにこれに関しての返事は来ず。でも「おしこみ」という社会派ドラマの脚本はすっかりアダルトビデオらしいタイトルに変わり果て、すぐにクランク・インという何ともうまくいかないお話。そのビデオは見てないが、パッケージのストーリーを読む限りでは、かなり変わり果てている。

◆ネコ紹介◆1999.2.27.

写真はうちのチャペス・K・チャベスくん (男性・キジトラ)と故ビリー・K・キッドくん(男性・黒)と故ナオミ・K・スカーレットさん(女性・ショコラ)です。しかし最近ここ数年の間にめっきり禁煙場所が増えましたが、まぁそれはよしとして、駅のホームなんか終日禁煙なんて意味のわからん書き方されてますが、去年の暮れにたばこが値上がりしましたのは御存じだと思いますが、しかも一気に20yenも。それもまぁ100歩ゆずってよしとして、その20yenは1日平均1箱として月間600yenのアップなわけで、セブンスターの場合250yenですから、月間にして7500yenにものぼる出費をしてまでも、死に急ぎなことですが、問題は旧国鉄の借金返済のための20yenアップと知った時はこまりました。だまっててほしかった。でも駅のホームはもちろん、グリーン車なんかでも禁煙という地獄を味あわされて日夜、旧国鉄の借金返済に貢献してます。



◆スノーボードは10年選手◆1999.2.25.

元々スケーターだった僕は、その延長線で今から9年前にスノーボードを始めたわけで。そのころといったら、板は20万円近くするわウェアはズボンだけでも10万円ぐらいするわで、 なんやったら全部揃えたら平気で40万円でも足りるかあやしい、かなりオーバーグラウンドな娯楽でした。そんな時代、技とかはスケボーと一緒ですし、スケボーでするより簡単だったので、2回目ぐらいにはもうゲレンデのF1状態だったわけで、そのころのゲレンデといえばスノーボードじたいが全然マイナーで、広いゲレンデに10人ぐらいしかいなくて、おたがいボーダーどうしで話かけ合って、スキーに夢中の女子大生なんかもリフト待ちの時に興味津々に、話しかけてくれたりしてピースな日々でした。スケーターあがりのポリシーなんかもあって、THRASHERのステッカーを板に貼ったり、グローブやらブーツはエアーウォークで極めたりしてたが数年前に近所の変な婦人服屋でスラッシャーのトレーナーは特価で売ってるわ、印刷屋のおじいちゃんはエアーウォークのスニーカー履いてるわで、どうでもよくなった。てなかんじで、スノーボードとその関連商品は、今から6.7年前ぐらいから異常に流行化し、ネコもしゃくとりむしも、"あたしボーダー"状態。何やったらうちのおかんまでもそのうちやりかねん勢いの中、僕は新しく買い替えてまだ2回しか使用していない道具一式を2年前に友人に貸したっきり返ってきません。しかもそいつは行方不明状態。家にも誰もいない状態。さて、どうでしょう?
P.S.風間くんへ。はよ返せ。



1993年の飽きる前のまだ楽しいころの写真。
特にテール・グラブやジャパン・エアー等を得意としていた頃。この時の板はブラック・フライ・ダナモデル。


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